2010年4月29日木曜日

We Japanese とは決して言わないで

数年前に書いたことがあるが、外国の人と話しをしているときに決して "We Japanese ..."ではじまる文を口走らないで欲しい。かつて米国にいたとき、他の日本人がそう言うのを聞いた時には、いつも虫酸が走っていた。


ボクのリアクション(心の中での)は第一に「オイ、オイ、オイ。お前、勝手にオレも含めた日本人の代表になるなよ。」だった。そして第二に、「アンタ、そんなにがんばって日本をしょい込まなくていいのに。」


全く知らない方だが、冷泉彰彦さんが下記のように書いておられる。ボクは賛成できない。(1−6はまったく同感だが):
「(7)雑談時のデフォルトはナショナリストで結構。いわれのない自国や自国文化への中傷には徹底抗戦せよ。日本人を "They" と言うな。"We" とハッキリ言え。だが、根拠のある忠告や指摘は感謝しつつ受け入れるべき。」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1953.html


「いわれのない自国や自国文化への中傷には」と但し書きがついてはいるが、それが当てはまらない場合であっても、Weとやってしまう人を多く見て来た。まさか(6)にある「コスモポリタンなリベラルの感性」を持ち合わせていない人には、自分もナショナリストになって対応しろということなのだろうか?そんなのは失礼だろう。これが、「日本人は桜が好き」、「寿司が好き」(嫌いな人もいるとは思うが)、「源氏物語がShakespeare等よりずっと昔に書かれていたことを誇りに思う」、あるいは、ワールドカップでの日本チームへの応援等の、本当にWeと言って問題がないことについては、ボクだってWeと言うだろうが、冷泉さんの上の但し書きは何かstrawmanのように感じる。つまり、*そんな中傷はボクは22年間の滞米中経験したことがない。


これが桜が好きとかでなくて、例えば日本人の歴史認識、とくにアジア侵略、中国・韓国との関係、パールハーバー、核兵器、米軍基地、死刑、捕鯨、天皇、政治だったらどうだろうか?たとえ、日本人の90%が持っている感覚で、たまたまそれが自分が共有する感覚であっても、それを理由にWeと言っても構わないとは、ボクは思わない。だいたい、この種のデータなど、殆ど眉唾物だと思った方が良い。


はっきり言って、冷泉さんの薦めるデフォルトは危なすぎると思う。「空気を読め」、「国民目線」、「市民感覚」といった言葉が当然のように使われ、大勢と異なる意見や考え方を持つことについて無言の圧力を受けるような環境で過ごし、おそらく知らず知らず同化してきた人の場合には、自と他を区別して冷静にdiscussionに参加する技能とスタンスを自動的に持てているとはとても思えない。そうした訓練を殆どの日本人は受けていない。Debateというのは多くの人にとって、とても受け入れにくい異質な文化ではないのか。米国で、雑談時にdebateをするわけではないが、少なくともある程度の免疫がついていて、「devil's advocateをやっているが」、と前置きすれば多くの場合冷静に理解してもらえる。


よくあるケースで例えば、数十年以上前に、ボクらが生まれる前に当時の日本人(の一部)によって行われた戦争犯罪について、結構当たり前の事実であっても何か言われると、あたかも自分自身が批判されているように思い込んで、とんでもなくおかしな方向に反論を展開してしまう人が多いという印象を受けた。そんな生まれる前のことを言われるのは心外だというのなら、Theyだと思っているということでは無いのか。そんなに、日本の過去も含めて全てを一身に背負って反論しなくてもいいのに。だれもあなたにそんなこと頼んでいない。


そもそも、雑談では「日本人はどう思っているか?」では無くて、「あなたはどう思うか?」と問われているのではないのか?それをWeで答えては、向こうも期待はずれだろう。少なくとも、ボクが外国人だったら、まずは直接話し合っている相手個人の考えに興味を持つだろうと思う。社会学者でもない相手に、そんな国全体のことを聞こうとは思わない。相手の個人としての考えを理解できて、かつその人が話題になっている問題を良く理解していると確信できて初めて、例えば「それでは、あなたのような意見を持つ日本人はmajorityなのか?他には、どんな考えの人がいるんだ?」等という、質問に移行できる。日本人の考えに議論が進展して来た時でさえ、Weとか"We Japanese"を使える機会がそうそうあるとは思えない。議論になるような多くの問題については、考え方や感じ方が単純にWeで代表できるようなことは稀なのだから。逆に言えば、"I"としての自分個人の考えをまずはっきり言えないような人が、最初からWeとか言ってもバカにされるのがオチだろう。傲慢にもほどがある。


一度は、自分"I"と自分以外"They"を分けて考えて、その上であらためてWeと言っても問題のないと本当に納得できることだけについて、Weと言うべきだと思う。だから、雑談のときのデフォルトは"I"と"They"のみを使うように、まずは心がけて欲しいと思う。

ボクだったらと考えると、今の多くの日本に関するトピックについて文頭に使えるのは:
I ...
Some of us ...
Unfortunately, many of them appear ...
だけで、Weが使える話題は思い浮かばない。3番目を"many of us ..."とするのは、しっくり来ない。ここでWeが使えないことを残念だとは思わない。それが健全である。


他の日本人が"We"あるいは"We Japanese"といったら、頭の中でアラームがけたたましく鳴らなければおかしい。アンタみたいなのにオレの考えまで勝手に代表してもらいたくない、と。

2010年4月27日火曜日

Bill Moyers Journalが終わる

Bill Moyers Journalという米国のPBSの番組が今月末で終わる。残念。でも76歳というお年で自分で勇退を決意したということだ。長い間ありがとうございました。その存在は米国にいたころから何となく知っていたけれど、もう少し早く見付けたかった。最近の番組をいくつか見たが、いいものが多い。いくらWall Street等のことで経済関連ニュースを見てもわからないことが、例えばこのWilliam Black教授のインタビューを見ると、気持ちのいいくらいよくわかる。


こういう番組に引き換え、日本ではと思わずにはいられない。申し訳ないが、大手の新聞、放送局には重要ニュースに関して信じられる物がなくなった。昨年、日本に来てから9年間とった新聞を止めて、いまは別の新聞を取っているが、はっきり言って毎月払う金が惜しいと思う。ローカルニュース、ほのぼのニュース、それから家族が必要だと言うテレビ欄とチラシのためにとっているようなものだ。お金をとる放送局も似たようなもの。アナログ停波になって見えなくなったら、寂しく思うだろうか?別途お金を取っている、ネット経由のオンデマンドで十分かもしれない。(これも腹立たしい。BBCがやってるくらいのことはできるだろうに。)


もう一つ、Daily Show with Jon Stewartという番組も時々週末にまとめて見ている。これについては、また別の機会に書くことにする。


両方とも、英語の教材としてはAdvanced。背景を知っていないと分からないだろう。でも、そうしたことを含めて英語力というのです。英語だけの英語力などというのは、存在しない。

2010年4月26日月曜日

英語のビデオサイト

おすすめの英語のビデオ/Podcastサイトのリストを更新しました。
こちらを見て下さい。


こうしたビデオやPodcastを選ぶボクの指針は、「自分にとって内容的に興味があるもので、かつ全く日本語が出て来ないもの」です。

皆さんもそうされることをお勧めします。というか、こういうのを一度集中して聞く経験をしたら、どこかの国の英語教育産業がだしてくるいわゆる親切な英語教材なんてバカらしくてやっていられないと思えるでしょう。対訳付きの有名人のスピーチなんて、お金を払って買うもんじゃ有りません。


ボクが高校生や大学生の頃は、こういうものは当然ありませんでした。短波ラジオから聞こえてくるS/N=10~20dB程度のBBC, Radio Australia, FEN, VOA等があった程度でしょうか。今の皆さんは、10倍は英語ができるようになって当然だと思います。

2010年4月20日火曜日

バークレーとバークリー

最近嫌なのは、新聞などでUniversity of California, Berkeleyをカリフォルニア大学バークリー校と日本語表記する例を見かけることだ。誰だ、バークレーをバークリーと変えようとしているヤツは?止めて欲しい。ボクにとっては、昔からBerkeleyはバークレーであり、University of California, Berkeleyはバークレーにあるカリフォルニア大学システムの最初のキャンパスで、母校でもある。バークリーは東海岸にある、小曽根真や山中千尋(他にもたくさん)がでた有名な音楽家のための大学、Berklee College of Music、の呼称として取っておくべきだと思う。


確かに、発音を聞けばバークリーに近いかもしれないが、所詮カタカナの日本語表記である。そんな理由でどうしてもというのなら、もっと徹底してカリフォーニア大学バークリー校とかの嫌らしい言い方でやってくれ。


新聞社やテレビ局がそんなことを決める権利はないはずで、皆さんも洗脳されないようにご注意を。最後の一人になっても、ボクはカリフォルニア大学バークレー校と書き続けることにする。


こちらの方々も、同じことを反対側からおっしゃっているようです。

2010年4月19日月曜日

Data Traceability : 実験から論文まで

野菜でさえ、どの県のどの農場の誰が作り、いつ収穫されたものか等の情報が、家庭の冷蔵庫に入ってからでも調べることが可能になりつつある。ボクらの「製品」である科学論文についてはどうだろうか?


論文になった実験データがどの動物からのもので、何時行われた実験の、どの神経細胞からのものなのか、また解析時の処理パラメータ(たとえばsmoothingを行ったのなら、その程度等)の値などを簡単に知ることは現在、可能になっていない。これが出来ることを data traceabilityがあると、一般には言うのではないかと思う。それが無いのがもどかしい。


そのための大掛かりなシステムを作ることは、簡単にはできないが、少なくとも論文の著者としては、例えばある論文の図4Aに示されている細胞についての追加情報を求められた時には、例えそれが5年後、10年後であったとしても、可能な限り答えることができるべきだと思う。


このdata traceabilityの問題について、できることからやって行こうということでUC BerkeleyのFreeman Labで始めたことは、取り敢えず論文の図のデータが個々の神経細胞からの物であるときは、動物と細胞のIDを図に描き込んでおくことだった。上の例は DeAngelis et al. 1992 の図4から取ったものだ。右上の671が動物のコードの一部で、09が細胞の番号となっている。


それ以後、少なくともボクがメインのあるいは責任著者の論文では、個々の細胞の反応の例等を示すときには、実験時の生データが入っている本当の元ファイルの名前を全てのそうした図に描き込んでおくことを心がけて来た。よろしければ、チェックしてみて下さい。(サマリーの図では、何段階かの処理を経たデータなので、それはできないが。)


解析ソフト/作図ソフトによるData Traceabilityサポート

手作業でファイル名を記入しなくても、自動的にデータ解析から、プロットの作成、さらにプロットを複数組み合わせてIllustrator等のお絵描きソフトで最終的な論文投稿用のファイルを作るところまで、元データの情報と処理のパラメータを保持できないかと、1990年代中頃にいろいろやってみた例を紹介したい。


昔の思い出を書きたいからでなく、ずっと昔に「こんなことができたらなぁ〜」と思ったことが、2010年の今でも実現されていないからだ。あれから15年以上経つのに、この部分は手作業で、いまだにData Traceabilityサポートのことを考えたプロットや作図のためのソフトが全く無いように見えるのが不満だ。科学研究で実験から論文までのData Traceabilityを実現するような仕掛けを、研究に使われる多くのソフトウエアに組み込んでほしい。例えば、Matlabのプロット部分にdefaultでは表示/印刷され無いデータトレース情報を埋め込むことはできないのだろうか?(やっていらっしゃる方があれば、教えてください。)


やってみたことを簡単に言えば、当時NeXT用に作ったデータ解析のためのカスタムソフトのプロット部分に、何段か処理が進んでも、トレース情報が保たれるような細工をした。

トレース情報を論文のドラフトにPDFのコメント(annotation)として自動的に組み込むため、NeXTベースのソフトが書き出すEPS (Encapsulated PostScript)にannotationを作製するコマンドを埋め込んだ。その様なEPSファイルの例。このEPSファイルは中身はASCIIテキストで、そのままPostScriptのコードとして読むことができる。(参考までに、/ANN pdfmark という行で終わるブロックがトレース情報の部分。)さらに、これはNerd以外の方には関係ないと思われるが、NeXTのプログラミングの詳細を書くと、これらの図のプロットはContourViewというクラスで作られたので、その描画部分で書き出した。今の、MacOS XのCocoa環境で同じことができるかどうか、まだ調べてないですが、できないことはないと思う。ただ、NeXTで図の望ましい形式としてコピー/ペーストで使われていたEPS形式はMacOS Xでは使われていないので、直接PDFとして書き出すことになるが。(Ah..., Display PostScript...)


いずれにしても、このようなEPSを(複数個可)作図ソフトやFrameMaker等のソフトに挿入して、PostScript出力を作り、それをAcrobat Distillerにかけて、PDFとした。そのようにして作ったスライドの一例がこれだ。このブログシステムにはPDFがアップできないようなので、元のPDFファイルはここ。Adobe Readerでファイルを見ると、各プロットのトレース情報は白いドキュメントアイコンで示される。これは実際に印刷される時には、通常印刷されない。


左のプロットのアイコンの一つをクリックすると、コメント(annotation)の中身が表示される。このように、スライドになっても、あるいは論文誌に投稿するためのファイルになっても、図のデータがどこから来て、どのような処理を経たのかが、残されるようにすることは、そんなに難しいことではない。PDFファイルではannotationやおそらく他にも多くの情報が記録可能だし、TIFFやJPGでもこの種の情報を含めることは可能なはずだ。


論文誌での編集とPDF化やHTML化の過程においても、このように図に埋め込まれたトレース情報を残して、最終的な読者にまで配布できるようにすることも、その気になれば十分できるはずである。今でも、最近投稿した論文では各図をEPSとしてアップロードして、Wordファイル等としてアップロードするテキスト部分と組み合わせ、査読のためのPDFを作成している。ある程度、埋め込むトレース情報の形式の標準化が必要だと思うが、そんなシステムが全てのレベルで早く実現して欲しい。関係者の皆さん、お願いしますね。

そのためのシステムやツールが充実してくるまでは、ボクと同業の方には、現在でもできる元の生データファイルのファイル名を該当する図に埋め込んでおくこと、お勧めします。10年経っても、元のデータに戻ることができるようにしておくことは、今は途中で手作業が入っても大事なことではないかと思います。データの捏造なんてことを考えるヤツはいないと信じているが、元データファイルを明記し、いつでもデータの再解析を可能にしておくことで、良からぬ考えの芽を摘むことができれば、それだけでも意味はある。実際には、論文acceptのもう半年後には、ある図がどの細胞のものだったのか分からなくなって、分厚いプリントアウトの束をひっくり返してみたり、細胞を見つけるための再解析を何度かやる羽目になって、嫌になったことがこれをやった動機である。まあその他にも、READMEと図のファイルリストを作る等、もう少し図の作成過程を整理するようにはなったけれど。


ちなみに、上に出て来たカラーのスライドは大脳の視覚をつかさどる最初の領野である一次視覚野の2種類の神経細胞(単純型と複雑型)の階層構造を説明するために、実際の細胞からのデータを使って作ったイメージ図です。実際に右の複雑型細胞が左の単純型細胞から入力を受けていたわけではないです。

2010年4月14日水曜日

MacBook Pro: BTOでHDDより大容量のSSDが可能に

新しいMacBook Proが発表されましたが、i5, i7プロセサーが選べる以外に、一番インパクトがあると思えるのは、オプションではあってもスタンダードに選択できるSSDの容量がとうとうハードディスクの容量を超えたことです。


ボクにとってうれしいのは、これでMacBook Proを多少手荒に扱っても心配なくなることででしょうか。スリープするまで、ショックを与えない気遣いももう不要です。特に、会議や発表の時に、係の人にコンピュータを預けることを、「自分でやりますから」と、極力拒否してきましたが、これでそれも必要なくなることです。

2010年4月13日火曜日

NeXT in Apple

ボクは、まわりの人たちの間ではおそらく単なるMac 好きだと思われているかもしれない。でも、昔からMacが良いと思っていたわけではない。ほんとに1997年まではMacなんてどうでも良かった。


一言でいえば、NeXTの遺伝子がMacに入っているから、MacのOSであるMacOS Xの中身がどこから来たかわかっているから、良いと思っている所がある。BerkeleyのラボでNeXTを初めて買った(買ってくれなかったら辞めそうな勢いで説いたので、ボスが)のが1989年5月。Redwood CityへDeveloper Campのために3−4日間通った。PC(DOS)ベースの実験システムで取ったデータの解析はNeXTでやった。消えかけたNeXTがAppleに買収されたのが1997年。それ以後は、これ以上に理想的な展開はないという位の進展具合をiPadもiPhoneも含めて見ることができたと思っている。1990年代は、だからボクにとってはNeXTがメインの時代だった。当時、研究よりNeXTに力を入れすぎていた時期もあった。"comp.sys.next  ohzawa"でサーチすれば、何やっていたかの一部はまだ見えると思う。「お仕事」の一環としてやっていたことなので、いずれにしても、もう給料返せとは言われないよね。


iPad、手に取って見たことはないですが、欲しい。想像力があったら、こんなことも、あんなことも出来そうだと、それだけでも楽しい。出たら、実験システムに2、3台組み込んで使ってやるぞ。


Steve Jobsと大体同じ年です。本当にまだまだ将来が楽しみだ。ボクも誰かにそう言ってもらうことを目指したい。


An Empty Canvas -- Cultured Code:
http://culturedcode.com/things/blog/2010/04/an-empty-canvas.html



2010年4月3日土曜日

ボクが見ている英語サイト 1

立場上、読んでいる日本語サイトを紹介し始めると、いろいろ問題が出てきそうなので、余程のことがない限りは英語サイトのみ、ボクが良く読んでいるサイトの中から紹介します。

RoughlyDrafted Magazine
Daniel Eran Dilger in San Francisco
http://www.roughlydrafted.com/

彼の書く記事、非常に長いものがあったりしますが、普通のメディアや専門誌の記事でさえ書けない内容と分析力があると思っています。普通の業界アナリストが書いた物等、バカらしくて読めなくなるくらいです。

どのようにいいのかは、長くなるので、別の機会にしますが、ここで脱線して英語習得についてです。

英語ができるようになりたいのだったら、RoughlyDrafted Magazineをボクが読んでいるように、自分の気に入った個人ベースのブログやサイトを見つけて、頻繁に読むようにしたほうがいいと思います。CNNとかのニュース等では無くて、もっとフォーカスされた本当に興味を持てるトピックについてのサイトを見つけて。別に自分のすぐ周辺の誰も全く読んでいなくたって、構わないじゃないですか。大手の新聞とか巷で話題のことばかり読んでいてもね。話題のために何かを読むなんて、ボクは考えたこともありませんが、以前そういうことを言った学生がいて驚きました。ボクが変なんでしょうか?

日本語が出てくる「対訳付きの親切な」英語教材(CD、Webサイト、Podcast)なんか止めておいた方がいいと思います。「お勉強」した気にはなれるかもしれませんが、最終的には全然親切ではありません。特に、Audiobook等に仕立てられた音声による日英対訳単語集などは何としても避けるべきだと思っています。つまらない、日本の英語教育業界の誰かが売れ筋でパッケージ化したものでなくて、source materialを見ていた方がよほど面白いのではないですか?高校生以上で英語が平均以上であれば、もうできるだけ早くそうすることを勧めます。ただ、高校生の場合は、受験勉強とは別に並行してです。受験にフォーカスしていないことですが、無駄にはなりません。それどころか、一見遠回りのようで実は近道だと思います。残り1年だと焦りがでるので、必ずしも勧めませんが、2年間あれば、絶対近道です。

ボクのルールは、(受験問題でないこちらの題材では、)日本語が少しでも出てくる物は避けること、です。

この点で意外だったのは、大学入試で使われるセンター試験の英語問題は、本当に良くできていることです。受験と英語に関して、良いと思えることはほとんど無いのですが、最近英語のセンター試験だけは見直しました。


Warningですが、RDMはMSの製品ややってることがまともだと思っている人には、一方的なサイトに見えるかもしれませんね。

2010年4月1日木曜日

少数派のすすめ

新学期なので、以下のようなことを書いてみようと思う。

少数派であることは、気になりますか?
みんなと違った考えを、一人だけであっても主張できますか?
他の人とは違った道をたどることに躊躇(こんな漢字知らない)しますか?
それがあまり気になるようだと、科学者を目指すのはつらいかもね。

だって、そうでしょう。より良いモノを作ることが評価される工学や技術開発とは違って、今まで一般に考えられていた常識とは全く違った、そういう物を打ち壊すような発見が一番評価されるのが科学です。周りを見て自分と比べて、同じ様にしていないと不安になるようだったら、科学なんてとてもやっていられないのではないですか?

ボクに関していえば、少数派であることは気にならない。小学生のころから特に気にならなかった様に思う。

前にもどこかで書いたと思いますが、偉い人が言っていることは特に簡単に信じてはいけない。幸いというか、不幸というか、考えを否定すること等怖くてできないようなボスには、ボクはあたらなかった。だから、研究室の長となった今、ボク自身の考えに否定的な意見でもオープンに接したいと思っている。(実際どう見えているか気にはなりますが。)ダメなプロジェクトを言い出したら、「そんなことやっても意味ないです。」と言って欲しい。

だから、2010年度の始めにあたって、皆さんには少数派になることをすすめます。少なくとも、少数派であることを恐れないで欲しい。