2010年11月3日水曜日

減り続ける日本からの留学生

米国大学院学生会という米国で学位の取得を目指して留学している学生さんたちのサイトがある。その中の下記のページにある「MITにおける出身国別の留学生数の推移」というグラフを見て欲しい。


http://gakuiryugaku.net/about/contributions


中国、韓国、インド、シンガポールからMITへの学位留学生が過去10年間で約2倍に増えているのに対して、日本からの留学生は120から80人程度に減っている。他の大学でも状況は似ているだろう。


行きたくない人に無理に行かせる事はできないし、日本が、日本の将来が、と偉い人が良く言っているような事は、ボクは言いたくない。ただ、こうした状況は知っておいて欲しい。


これを読んでいるあなたに行けと言っているわけではない。Ph.D.を目指して留学する事は、先方にとってはほとんど完全に未知数の学生を受け入れる事であり、そのことを理解するなら、ポスドクとして行くよりも覚悟がいるかも知れない。ポスドクは一応は実績を持つsomebodyだが、学部卒・修士修了で行く学生は最初はnobodyだ。自分を証明しなければならない。これまでの成績などは証明にはならない。あなたの人格を否定しているのでなく、そうした扱いを一部の人から受ける覚悟はしていく必要がある。(ボクは何も知らずに行ったが。)必ずしも成績とは関係しない、それなりの適性が必要なことだ。


迷っている人は、日本がとか日本の将来がという視点は捨てて、自分のことだけに限って、考えてみて欲しい。最終的には、決断はそこの問題なのだから。


日本はそれなりに科学先進国ではある。日本から一歩も出なくても、それなりに有能な科学者になることはできる。でも、外国でPh.D.を目指して数年を過ごす事で得られる経験値の増加はどうなのかを、考えてみて欲しい。こうして外国に出て行った近隣諸国の彼らと10年後、20年後に、同等以上に対抗して行けるか?直接目に見える競争に参加している自覚はないかもしれないけれど、自分が気がつかない所で競争になっているのは間違いない。


あなたが、留学する事で不利になるかも知れないと不安になっていること、隣の国の彼らは気にしているだろうか?


科学者、研究者としての競争は、就職戦線や営業活動のようにあからさまでない。もっと長期で、ほとんど他の誰かと競争しているという感覚はなく、自分との戦いという感覚だ。自分だけ先の無い道を歩んでいるのではないかという不安や、こんな事をしていていいのだろうかという不安との折り合いをつけるという。だから、スポーツの試合とかゲーム的な物に興味が全く無い人、人を押しのけるような競争は性に合わない人でも、自分の土俵を見つけ、こだわりを持ってやる事ができれば、案外自然にやっていける、一種変わった世界だ。


そういう人は、結構いるのではないかな。留学にはギラギラした闘争心や要領良さは必要無い。常識とか世間が気にならない人は、かえっていいかも知れない。皆が殺到しているバスには無理して乗ろうとしなくてもいい。

More Perfect Than We Imagined: A Physicist’s View of Life

Spikesというタイトルの本の著者の一人として知られるBialekさんが公開講座を今日CUNYでされるようだ。今はNew York Timesの紹介記事しかないが、ビデオが公開されないか、後日チェックしようと思う。公開されないかも知れないが。話しの中身に新しい事は特にないかも知れないけれど、科学者でない人にどのように話すのか、とても興味がある。


国外の新聞サイトは記事へのリンクが切れないから、リンクしておく。
Seeing the Natural World With a Physicist’s Lens (NYT)
http://www.nytimes.com/2010/11/02/science/02angier.html

Added on 2010-12-10: ビデオが出ている:

More Perfect Than We Imagined: A Physicist's View
The Graduate Center, CUNY
http://fora.tv/2010/11/03/More_Perfect_Than_We_Imagined_A_Physicists_View

自分の言語入出力の半分を英語に

英語に上達したいのなら、自分の言語入出力の半分以上を英語にすることをお勧めする。
精神活動の入出力として使わずに、語学ができるようになるわけが無い。
ゴハンを食べるように、空気を吸うように、いつもやっている大切な事に使えばいい。もちろん、ゴハンを食べられないくらい大変な状況なら、中断していい。


大学では、自分に取って大事な科目の教科書と参考書は日本語でなく(or にプラスして)英語版にする。
国内にいて、周りの人のほとんどとは日本語で話さなくてはならないのだから、一人の時には全て英語にするくらいのつもりでやればいい。
ベストなのは、可能であればそばにいてよく話す人と、全て英語で業務連絡をやればいい。ボクは幸運にも過去8年間の秘書さん2人(日本人)と英語で仕事できるように、環境を作る事ができた。無理強いは出来ないが、学生同士でもその気があれば可能なはず。
それから日本語のニュースや番組等は20%くらいにして、残りは英語にする。これは、劣化した国内メディアの悪影響を中和する効果も期待できる。ただし、The Daily Showを見れば分かる通り、米国のメディアの多くも劣化している物が多い。英語だからといって内容を鵜呑みにしないように気をつけよう。


できるはずだ。
今考えると、どこに時間があったのかちょっと不思議な気もするが、30何年以上昔の高校時代、新聞は家で取っていた中日、日経に加え、Mainichi Daily Newsを頼んで追加してもらい、読んでいた。普通のニュースだけではつまらないので、英語で科学の内容も読むために、Scientific Americanも取ってもらった。いまだったら、カードで一発で購読できるけれど、送金するのがかなり大変だった。それから短波のラジオでS/Nの悪いBBC, FEN, VOA, Radio Australiaを聞いていた。Radio Japanはなんか特有な訛りがあったので、あまり聞かなかった。特に意識はしなかったが、同じトピックのニュースでも扱いが違ったり、全く扱われなかったりという違いには、その頃から気づいていて、興味深いと感じた事を覚えている。全教科できるだけ英語でも、というノリでやろうとしたが、それで大学受験で不利になったということは、絶対なかったと断言できる。受験の1年前からだと、厳しいけれど、2年間以上あればできるって。


ここまでは、単なる前準備だけどね。一生英語では苦労はすると思う。


いずれにしても、今はお金を全くかけなくても、素晴らしい内容の英語素材がいくらでもある。やるだけじゃないか。