2011年9月18日日曜日

お薦めUstream:「原発」今こそ考えよう 9/18

Ustream録画:「原発」今こそ考えよう 9/18
http://www.ustream.tv/recorded/17344717
原因と現状分析、今後どうするかを考える上で、非常に参考になると思います。

内容詳細:
「原発」「放射能」「エネルギー問題」をテーマにパネルディスカッション
http://reuse-wave.sblo.jp/article/47493306.html
パネリスト:


また、上記とは別のシンポジウムが東大本郷キャンパスでありました。
日本学術会議哲学委員会
公開シンポジウム「原発災害をめぐる科学者の社会的責任――科学と科学を超えるもの」
  • 唐木英明(元東京大学アイソトープ総合センタ長・獣医薬理学獣医薬理学獣医薬理学)
  • 小林傳司(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター/科学哲学、科学技術社会論)
  • 押川正毅(東京大学物性研究所/理論物理学)
  • 鬼頭秀一(東京大学新領域創成科学研究科/環境倫理学)
  • 島薗 進(東京大学人文社会系研究科/宗教学)
発言要旨まとめ(ビデオはまだ無いようです)
http://togetter.com/li/189554

押川正毅 東京大学物性研究所・教授のレジュメ
http://masakioshikawa.blogspot.com/2011/09/918_17.html

シンポジウム詳細(PDF)
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf/133-s-1-2.pdf
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2011年9月14日水曜日

ボクが参加した一番大きな集会:Golden Gate Bridge 50周年記念 1987

東京では、普通の人の脱原発デモで機動隊まで出た過剰警備により警察が12人も逮捕して、けが人も出て、大変なことになっているが、どうしてこんな事になるのだろう。

お年寄りや子供を含む家族連れが気軽に参加できるデモが、不要な過剰警備で制限されるようではいけない。デモや集会を行うこと、それらに参加する事は、憲法で保証されている重要な権利の一つだ。

今日は東京のことはこれ位で止めておいて、デモから連想した楽しい思い出を一つ。

多数の人が集まる行事で、自分が参加したもので一番大きいものは何だろうと、連想してしまった。Woodstockを知っているほど、年は取っていない。

ボクにとって、それは何と言っても1987年5月24日にあった、サンフランシスコのGolden Gate Bridgeの50周年記念。とにかくみんな集まって、歩いて橋を渡ろうという行事だった。車道を閉鎖して、全て歩行者天国。We were there!

Gone But Not Forgotten: The Golden Gate Bridge 50th anniversary
http://www.sfgate.com/cgi-bin/blogs/parenting/detail?entry_id=71230

主催者による事前の予想は8万人、ところが実際は推定80万人が繰り出して、その内30万人が橋の上に。普通Golden Gateのような吊り橋は、上に少し反っているものだが、この日は30万人の人の重みで、反対の下側に少し垂れ下がってしまった。そうなっているとは、橋の上にいた時には気付かなかったが、翌日の新聞の写真を見てビックリ。つっている太いワイヤが切れなくて良かった。

10倍も人出の予測を誤って、万一パニックが起ったりしたら本当に危ない所だった。端から端まで、米国では普通絶対あり得ない、東京のラッシュ時の電車で見るような混雑具合だったが、皆さん落ち着いて行動していた。やっぱり、SF Bay Areaの人たちは理性があるよね、と後で自分たちを誉め合っていた。しかし、あれはスゴかった。いい思い出だ。

あんなに多くの人が集まる所に行く事は二度と無いだろう。願わくば...
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2011年9月13日火曜日

原発の安全性は確認できない:地方で再稼働ストップを

枝野経済産業相 2011-09-13 日経朝刊
安全性を確認しながら周辺住民に理解をいただく努力をしたうえで稼働すべき原発は再稼働する」

皆さんは、上記の政府の方針で構わないとお思いだろうか?私は到底容認できない。

つまり、発言としては非常に微妙で、前半部分は、確認作業はやりながら、実際は見切り発車でとも理解できる。後半は、住民の反対があっても「努力」をした上でなら、再稼働はしていくという方針の宣言だと理解した。「努力」というのは、おそらく経済産業相/首相が地方に出向いて、知事と市長に報告書を手渡し、報告書を説明し、握手をするといった程度の事だろう。

原発とその他の施設、例えば火力発電所は根本的に違う。交通事故や飛行機事故と同様に、私はそしておそらく皆さんも、万が一の火力発電所の大事故は、実際には許容して生きている。真摯な努力目標として、「万が一にもあってはならない」とは言うが、実際にはリスクを許容している。それは、いくら火力発電所が大爆発したって、知れているという確信があるからだ。

これに対し、フクシマのような原発大事故は、本当に二度とあってはならない。万が一にも、百万が一にもだ。

その確率ゼロを要求する立場にたてば、どんなに厳格に審査しても原発の安全性は確認できない。いくらストレステストという机上の計算を頑張ってやっても、40年間原発に反対して来た小出裕章氏を原子力安全委員会/保安院のトップに据えて厳格にやろうとしてもだ。とんでもない地震国で国土が狭いというこの国の事情は、他国よりもさらに状況を厳しくしている。

ストレステストも、別に新しい安全の確認法では全く無い。これまでの審査も手順は同じようなことをやって来ている。何をやっても、上限の震度、マグニチュード、震源までの距離、地盤の健全性、パイプの振動よる破断限界等々には不確かな想定が入る。それらの条件を万が一にも超えないとは、保証できないはずだ。多様な可能性を持つ事故のメカニズムも全てをつくして検討済みであると確信をもって言える科学者や技術者はいるだろうか。いないはずだ。私は原子力の専門家ではないが、こうしたシミュレーションにおいて、それがどのような仮定を置くものなのかという、その危うい性格については理解しているつもりだ。だからいくらストレステストをやっても、その結果をもって安全が保証されるわけではない。何か「努力」はしましたという、気休め、あるいはアリバイ作りにしか過ぎない。

国が見切り発車で再稼働に走るのなら、地方レベルでストップしなければならない。

各原発から少なくとも半径200~250kmに住んでいる方は、原発の立地自治体の住民であるとの自覚を持つべきだ。実際に原発がある小さな町や村だけではない。今回のフクシマ事故によって影響がでた範囲をみれば、30km半径で済むはずがないことは良く分かったはずだ。だから、ほとんどの皆さんは当事者であり、当然意見を言うべきだ。とんでも無い話しだが、原発立地自治体への交付金の算定の仕方が、こっそりと事故後に変えられてしまっている。お金をこれまで受け取っていた小さな自治体は、実際に発電していない原発の場合には、これまで通りには交付金が入らなくなった。稼働を容認する非常に強い予算面の圧力をフクシマ後に受けている。小さな地元だけでは、抵抗しきれないだろう。

あまりにも新聞等が再稼働が当然だという論調なので、私はメディアや経済人と言われるこの人たちは一体何を考えているのだという思いから、これを書いている。メディアや財界が、急速な脱原発ではこれまでの多額の投資がパーになる、工場等の電力をまかなえないという心配から、再稼働を望む心情は理解できる。しかし、落ち着いて現実を良く見て欲しい。また戦争に負けたようなものです。投資がパーになるなんて当然では?

ちょっと節電を頑張るのと同時に、ガスタービン火力や自然エネルギー開発を進めれば、10ヶ月で来年の夏までに何とかできそうだと、この夏の経験から思えるじゃないですか。ポジティブ思考はそこにこそ必要です。それ以前に、投資した金や工場の操業継続と今後1000年のこの国の将来とを交換するつもりなのか? これらの人たちは、多額の政治献金、メディア広告だけでなく、論説・社説や記事に対する間接・直接の影響力で世論に影響を与え、民主主義を歪める力を持っているし、実際そうした力を行使してきた。

反面、そうした力を持たない大部分の人は、強く反対を表明しなければ、新聞の論調が世論という事になってしまう。メディアの論調に流されてしまう人も多い。「空気」に弱い多くの人は、はっきり反対だとは言えなくなってしまう。

私は、ここではっきりと全ての原発の再稼働に反対を表明します

私は大阪府の住民ですが、敦賀半島の原発の立地自治体住民の一人として、原発の再稼働に強く反対します。

脱原発は、一部の人がいうようなヒステリックな反応でも、一時的な心情でもない。安全を保証するために必要な条件を論理的に考えれば、必然的にたどり着く結論だ。新聞がどう書こうと、経済人がどう言おうと、怪しい「世論調査」の結果がどうだろうと、たとえ私一人でも原発の再稼働には反対します。
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2011年9月11日日曜日

なぜ新聞とテレビの報道は終わったか:今後どこからニュースを得るか?

新聞と地上波テレビはニュース報道に関する限り、その役目の多くは終わったと思っている。

理由を一言でいえば、恣意的な2次情報の伝達機関になり下がったから。
キーワードは「検証可能性」と「トレーサビリティー」で、これらを提供しないから

ドキュメンタリー等は話しが複雑になるので、記者会見についてだけ限定して話しをする。1次情報とは会見場での大臣等の会見者の発言、配布資料、記者の質問とそれに対する答え、会見場で起ったゴタゴタ等も含めた、そのままの生の情報。2次情報は、それを記者や編集者が要約し視点を加えてメディアに載せたもの。

基になる1次情報に対する検証可能性(トレーサビリティー **)を持たない2次情報を、私はもう受け入れることはできない。参考文献リストがない学術論文を受け入れる事ができないのと同様に、検証可能性が無い記事がまかり通る時代は、もう終わった。

どういうことかは、新聞記事、テレビのニュース番組を思い起こせばわかる。基になる1次情報の所在が明記されているだろうか?ほとんど全く見た事がない。新聞社のWebページへ行っても、記事の内容の元となる情報へのリンクはまず記載されていない。完全にできるはずのことなのにやっていない。Webがどういうものかを理解しているのだろうか。多くの役所は配布資料、会見のビデオ、会見内容の文字起こしをWebで提供している所が多くなっているのにも関わらずだ。あるリンクといえば、自社の別記事へのma******tion的なリンクばかり。

こうした既存メディアに載った情報は、これまでも常に2次情報にしか過ぎなかったのだが、新聞・テレビの読者や視聴者としては、それが1次情報に限りなく近い物だという幻想をいだいてきたところがあった。メディアを通してしか、情報を得る手段が無かったから。

しかし、状況は完全に変わりつつある。普通の人が1次情報にまで立ち戻って、2次情報の適否を確認できるようになった。かつてはフルタイムでやろうとしても、個人では到底できなかった事だ。

フリーランス記者たちが、報道に関してWebやTwitter等で行った事は、本来の1次情報に格段に近い情報を提供しはじめたことだ。会見の完全なUstreamビデオ中継とアーカイブ化。それにリンクする形でのWeb上の記事。さらに、それにリンクするTwitter等の短いメッセージ。さらにWeb上の誰かが提供するビデオの内容のほぼ完全な書き起こし。相互にリンクが張り巡らされ、内容の正しさを誰でも確認できる。新聞・テレビではそんなことは到底できない。

誰が、どこで何を言ったか、その気になれば常に会見ビデオを最初から最後まで見ることが可能で、書き起こしも提供されているからこそ、実際に全ての記事について自分でそこまでしなくても、ウソは無いという確信を持てるようになった。問題になっている発言だけでなく、その前後に何が起ったか。記者クラブの記者がどんな質問をしているか。1次情報から2次情報が作られる過程で、何が強調され、何が排除され捨てられたかを知る事ができるようになった。

かつては重宝されていた大メディアブランドの記事より、一般には有名ではなくても、フリーランス記者個人とコミュニティーの共同作業がもたらす検証可能な情報の方を選択する人が増えているのではないだろうか。もちろん、全てのフリーランス記者や独立メディアが、このプロセスに耐えられるわけではないし、持続して信頼を保ちつづけることは本当に大変なことだろう。でも、それしかjournalismの将来はないと思っている。新聞を止めて、NHKを解約して、彼らからの情報にお金を使いたい。

鉢呂経産大臣の辞任会見がどうだったか、記者クラブの記者にどんな人間がいるか、泊原発の営業運転許可に関する原子力安全委員会の「審査」で何が起ったか、それを既存メディアはどう報道したか、そんなに時間をかけて調べなくてもすぐわかる。まだ、NHKを含む地上波テレビや大手新聞を含む既存メディアの報道を信じている方は、1〜2時間くらい時間をとって、一度上のようなクロスチェックをされてみることを強くお薦めする。

大学の教員として、卒論やレポートを見るときの、一つの最低限のチェック項目としては、参考文献の引用が正しく行われているかがある。それがしっかり出来ないようでは、とても卒業はさせられないし、合格点は付けられない。

フリーランス記者や独立メディアのレポートとWebからの参加者の合同作業は、現在既にその点で合格点に達している。大メディアがやっている報道は、「不可」としか成績のつけようがないしろものだ。検証不可能だから。自分たちの報道内容が、1次情報に限りなく近いという幻想を未だに持っているのかも知れない。もしかすると、自分たちの発信する内容こそが1次情報だと思っているのかも知れない。本当に裸の王様の話しに近い。

今後どこからニュースを得るか?というという問いに対する答えは、上記から自明ではないだろうか。

検証可能性が根本的に改善されないかぎり、既存メディアの報道内容の信頼性は、私にとっては既に限りなくゼロに近い。世論調査を含む一部記事ではマイナスのものもある。見るべき物がまだあるとすれば、ヘリ等からの中継映像等のお金のかかる物だけか。

ニュース報道だけではなく、今後原発第稼働に関して問題になってくるストレステストについても、私は完全な検証可能性を求める。ストレステストというのはシミュレーションだが、計算式と、データ、前提条件、仮定等を使えるオリジナルの電子データとして全て提供し、再計算が外部の人間にも可能でなければならない。知財権が等という言い訳は論外だが、テロリストに耐震性の情報が渡ると困るということであれば、それだけで原発は止めておくに十分な理由となる。どこかの委員会が出す「OKでした」という報告書だけでは、私は認めないし、皆さんも認めてはいけないと思う。


**:トレーサビリティー (traceability):データの出所が明らかである度合い。主張やstatementの根拠となる元データや証拠の所在が明示されていることにより、他者による確認が可能であること。例えば、「Apple社は現在計画中の円盤形の新本社社屋への電源供給では、自家発電を常用の主電源とし、電力会社からの送電をバックアップとして利用する計画である。」という事実があるが、その根拠として下記のクパティーノ市の市議会でSteve Jobs CEOが説明したビデオを示す事で確認が可能になっていること。

Steve Jobs Presents to the Cupertino City Council (6/7/11)  07:45~
http://www.youtube.com/watch?v=gtuz5OmOh_M#at=465
(YouTubeのURLの末尾に #at=秒数 を付け加えると、最初から「秒数」の時点から再生することが可能。)

2011年9月10日土曜日

Steve Jobsの辞書へのこだわり:辞書の無いコンピューターは野蛮だ

「OS X Lionの辞書アプリケーションの充実っぷりは破格」
http://macbook.blog83.fc2.com/blog-entry-823.html

確かにMacOS Xの付属辞書はスゴい。そして、プログラマーが頑張らなくても、ほとんど自動的にどのアプリケーションからも辞書が利用できるように出来ている(Appleの推奨するAppの作り方に従っていれば)。MacOS Xはその先祖だったNeXTSTEPの昔から多言語対応だが、Lionには各国言語用の辞書が全てどのマシンにも隠されているのだろうか?

Jobsの辞書へのこだわりは、1989年発売のNeXT Computerから始まっていると思う。Digital Websterscreen shot 2)というアプリケーションがNeXTSTEPに付いてきた。有名なWebster's Dictionaryの最初のDigital版だ。WikipediaやWeb上の辞書はおろか、Web自体がまだ発明もされていない時代のことだ。Digital WebsterにはNeXTをメインマシンとして使った'90年代の10年以上の間、非常にお世話になった。そのPreface to the Digital Editionには:

".. because the dictionary is packaged with the computer, every user and every application will have this Digital Webster at their fingertips--and that will be as valuable to a scholar as indoor plumbing is to a homeowner."

"Because of this, from now on, any computer that lacks a great dictionary will be considered barbaric."

-- Michael Hawley, NeXT, Inc. September 1988

Digital Websterの担当者の言葉だが、Jobsの考えも同じだろう。この下線部の言葉が当時からずっとボクの記憶に残っている。それ以来、辞書の付いて無いコンピュータは軽蔑の目で見て来た。その前にある一節では、コンピュータに載っている辞書というのは、家に例えれば水道や配水管のようなインフラだと言っている。NeXTの時代から、こういう見えなくても本質的に大事な所が違うんだよね。Imaging modelとか普通のスペック比較表には載らない所の違い。そこの違いが、Appleの底力の一つの基になっていると思う。新聞とか業界紙を普通に読んでいては、そこはわからない。

いずれにしても、コンピュータを使いながら、別の箱に入った電子辞書を使うなんて、野蛮の極みだと思う。

最近もTechnologyとLiberal Artsの両方が大切だと、WWDCの最後に強調しているが、そういう考えは今に始まった事でなく、Reed CollegeでCalligraphyに興味を持っていた頃から一貫した姿勢だろう。そういえば、ボクにはほとんど無駄だったが、Shakespeare全作品(?)と、一時期MathematicaもNeXTに入っていた。数学もLiberal Artsということだ。大学の職員か学生で無いと売ってあげないという、今から考えても商売をやる気があるのか良く分からない、売り方を最初はしていた。会社に勤めている人が、どうしたら私はNeXTを買えるんだとJobsに質問した時の答えは、一言、"Enroll!"だった。
2010 WWDCビデオから
Steve JobsがNeXTを立ち上げていた頃、日本では何をやっていたかというと、今では誰も知らない「第五世代コンピュータ」だったのではないかと思う。ボクは米国に22年いたせいもあって、日本が〜、アメリカが〜とかいう話しは、まあ基本的にはどうでもいいと思っているけれど、それにしても、日本発の中核を成す技術で世界に根付いた物は何だと言われたとき、さっと思いつけないのは何ともちょっと悲しい。部品とか周辺技術で重要な物は多いけれど。

※辞書もだが、フォントにもこだわっている。NeXTSTEP 2.1JにはモリサワのPSフォントが入っていた。MacOS Xになってからはfoundaryは忘れたが、ヒラギノが入っている。
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セシウム入りタバコ

JT自身のタバコ葉の放射性物質検査
http://www.jti.co.jp/news/radiological_inspection/pdf/20110906_02.pdf
によれば、JTが勝手に決めた社内暫定基準値(放射性セシウム:500Bq/kg)は下回るものの、しっかりセシウムが入っていますね。食品では無いので、そもそも法律では何も規制が無いそうです。検査データはセシウムとヨウ素だけですが、米国でも福島由来と思われるプルトニウム等も微量ではあっても検出されているので、それらも当然少しは入っていると想定するのが正しいでしょう。

放射性物質の微粒子が肺に沈着することの危険性は食品として消化器系に入れるより高いような気がしますが、この点での研究が無いのでしょうね。食品衛生法上の暫定規制値自体、日本の基準値は他の国のそれと比べてムチャクチャ高いので、そのまま、ああそうですかと受け入れて良いとは全く思いませんが、スモーカーの方は、更なる不確定性を自覚されるべきだと思います。既知のリスクに上乗せがあるだけで、どうせ自分がガンになっても、放射能のせいだとは誰も証明できないのだから、構わないと本心から納得できるのであれば、止めはしませんが。

タバコにも産地表示と含有放射能量のベクレル数値表示を求めるのが良いでしょう。暫定基準値は下回っていました、ということだけで良いとは思いません。たとえ多くの産地のタバコ葉がブレンドされても、ブレンド比は把握可能なはずで、最終的な数値はわかるはずです。

タバコの値上げが、一部では議論になっているようですが、単に税収を最大化する価格では無くて、タバコの健康被害による医療費等のマイナスをしっかり差し引いた上で、決めて欲しいと思います。

JTについて更に言えば、震災の復興財源確保のためのJT株式の一部売却ではなく、この際、国は、保有しているJT株式を全部売り払ってしまうべきだと、かねてから思っています。(JT自身もそれを希望しているようですね。)売却しても税収は残るのだし、いくら収入源になるからと言って、国が毒を売っていて良いはずが無いからです。国が株主だと言う事は、私も1億分の一程度の株主責任を持っています。他にも良いことはやっているのでしょうが、それは本業の罪悪の免罪符にはなりません。暴力団がいくら良いことをやっても、それをもって本業の悪事が許される事はないのと同じです。いくらイメージ広告をやられても、JTを良く思えなかったのは、そういう理由からなのだろうと思います。もうテレビは写らないので、見る事もありませんが。

それと、国を相手取った健康被害者からの訴訟リスクは想定されているのでしょうか?国内のスモーカーの皆さんは、もちろんリスクを良くご承知の上のことなので訴訟はあり得ない無いと思いますが、国内市場の縮小に伴ってJTが国外のタバコ企業を買収しているはずで、外国のスモーカーから訴訟のターゲットにされることが無いよう願います。
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2011年9月5日月曜日

お薦めビデオ作品 @ www.blind-film.net

解説は必要無いと思う。多くの人に見て欲しい:
http://www.blind-film.net/
http://www.youtube.com/watch?v=E2SgonaD4U0

なぜ未だに、子供たちがチェルブイリ同等以上のヒドい汚染地域に今も住み続けなけらばならないのか。東京のことは別にしても、このビデオのあの一部が5年後、10年後の福島の現実になることを真剣に危惧している。

「除染、除染!」と努力するのは重要だが、やることの順序が根本的に逆だ。子供たちを住まわせるのは、除染(校庭だけではない)が終わってからが当然だろう。どの程度、除染が実際にできるのかも不明なのだし。この時点で避難準備地区指定の解除なんて、とんでもないことで、やるべき事に逆行するのも甚だしい。

今私たちが当然しなければならない事をやっているとはとても思えない。旧ソ連に出来たことさえ、この国は遅々としてやろうとしない。福島県も国よりヒドい。その反面、地元への交付金額を発電実績ベースにこっそりと変えて再起動への札束の圧力とし、東電を救済し、ユルユルの「審査」で再稼働へ邁進し、「愛国心」を法律の条文に書き込む事はさっさと迅速に済ませている。

https://twitter.com/#!/iidatetsunari/status/110603328400011264
@iidatetsunari 小佐古敏荘東大教授@台湾フォーラム ...「20mSvだと100校程度だが5mSvだと3000校を越えるという理由で20mSvが選ばれ、自分は辞任」

そんなことだろうと想像はしていたが、これほどの「貧困国」だとは...
お金の点でもそうなのかもしれないが、それ以上にもっと大事な所で、これほど貧しい国になってしまっていたとは。
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2011年9月4日日曜日

Hitomi Nishiyama Trio 西山瞳トリオがいい

iTunes Storeで時々思い出したように、サンプルを聞いて好きな曲やアルバムを買っているだけの、Jazzの歴史・種類とかほとんど何も知らない、雑誌も買った事が無いTrio Jazzが好きなJazzファンです。Vocal, big bandとかはほとんど聞かないし、結構狭いが、それでいいと思っている。

6月にiTunes Storeで西山トリオのCUBIUM」, 「Many Seasons」,「Parallax」を買って、いいなと思って良く聞いていたら、2週間ほど前に、「I'm Missing You」のremaster版が出ていることに気がついて、早速ポチッと買ってしまった。ここしばらく、音楽を聞く時はこれらばかり聞いている。どうやって、6月に西山にたどり着いたのか、もう覚えていない。もしかすると、YouTubeにあったヨーロッパでのライブのSAKIRAだったかもしれない。

何がいいと言われても困るのだけれど、美しくて、無理をしていなくて、でもJazzとしてしっかり遊んでいるというか、とにかく、今一番しっくり来る音楽だ。ピアノはもちろんだが、bassもとてもいい。「I'm Missing You」を、お葬式でかけたと言った方がいるようだが、かなり共感する。ただし、自分の葬式はいらないと思っているので、そういった物をどうしてもやるんだったらで、他の曲も入れて下のリスト位に、もう少し明るめで乗ってる人がいるくらいがいいけれど。

Remaster版が、Amazonで5,000円というプレミアム付きの値段になって、西山さんもびっくりのようだ。他では、まだたくさん並んでいるという事なので、そちらを。

「I'm Missing You」(remaster)では、特にBlue Nowhere, I'm Missing You, Aprilisが好きで、Cubiumの All of You, Many Seasonsの SAKIRAもいい。

梅田まで出る事もあまりないし、大阪にきて11年になるのに、ほとんど何も知らない。三村さんという方が、Jazzアルバムの専門店をやっておられたそうだが、最近急逝されてしまっまい、お店も閉店となって、一度も行く事がなかったのが残念だ。iTunesでいいや、と言ってはhypersonicの本田さんに怒られるかも知れないが、聞く環境も普通以下なので、iTunesで聞いている。DRM無しの256kbpsのAAC (iTunes Plus)でダウンロード販売されているのは、とてもうれしい。今後も、それでお願いします。

iTunesが無かったら、西山瞳トリオも含めて、今も多くのJazz musicianの事を知らなかっただろうと思う。2001年がボクにとっては、音楽を取り戻した年だ。それ以前もCDとか、少しは持っていたが、余裕の無い時期もあって、あまり聞いていなかった。手持ちCDを全部iTunesと初代iPodに入れてみて、昔は許せなかったJazzの曲が一番好きな部類になったりした。

9月23日には、神戸で「I'm Missing You」のreissue記念のライブがあるので、今から楽しみにしている。

西山トリオ
Self-produced 1st album [2004 -- remaster 2011]
「I'm Missing You (remaster) / Hitomi Nishiyama Trio」 [iTunes]
http://itunes.apple.com/jp/album/im-missing-you/id455647803?l=en
http://blog.livedoor.jp/hitomipf79/archives/52016850.html
曲紹介1(2, 3もリンクから)
http://blog.livedoor.jp/hitomipf79/archives/52022661.html

Debut album [2006]
「CUBIUM / Hitomi Nishiyama Trio」
http://blog.livedoor.jp/hitomipf79/archives/50727997.html

 2-nd album [2007]
「Many Seasons / Hitomi Nishiyama Trio
http://blog.livedoor.jp/hitomipf79/archives/51121895.html

 4-th album [2008]
「Parallax / Hitomi Nishiyama」
http://blog.livedoor.jp/hitomipf79/archives/51451580.html

西山 Official Website
http://hitominishiyama.net/
Twitter
http://twitter.com/hitominishiyama
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2011年9月2日金曜日

宝島社の朝刊広告:終わらない2つの敗戦処理(2)

今朝の朝日、読売、毎日、産経、日経、日刊ゲンダイに掲載された、見開き全面をつかった広告、多くの人が、これは一体何だと思った事だろう。反応やコメントは99%ネガティブだろうが、ネガティブな感情を引き出す事を意図した広告だと思う。

「いい国つくろう、何度でも。」(宝島社 企業広告 2011年)
http://tkj.jp/company/ad/2011/

8月15日のポストで、「終わらない2つの敗戦処理」という題で書いたが、まさにその内容を象徴する広告だったので、結構いい線を行っている「良い」広告だとボクは評価している。「がんばろう日本!」等という広告よりは、よほどセンスが良く、今の日本に必要な広告ではないかと思う。当然、最初はイヤな気持ちになる広告だが、少し考えることを強要する、それがこの広告の意図だろう。

上記のサイトに掲載されている「広告意図」は、真意を知れば掲載に抵抗するかも知れない全国紙にとにかく掲載するためのアリバイか、それこそ口先のjokeだろう。そんな表向きの「意図」は、元々無視されるのは承知の上で、各自が意図を勝手に推測し、あれこれ考えてしまうように、わざと作られているのだと思う。雑誌はほぼ待合室でしか読まないので、宝島社がどういう出版物を出しているのかも知らないし、知りたくもない。会社と制作スタッフの背景も知らない。彼らの背景が右翼だろうが、左翼だろうが、そんなこともこの際どうでもいい。これだけの広告の掲載料金を実際に払ったのは誰だろうという疑問は大事だが、ボクは真の広告主に感謝したい。

ボクがこの広告から勝手に解釈するメッセージは2点:

1. 日本の戦後と敗戦処理は66年経ってもまったく終わっていない。マッカーサーと占領軍は去って、日本が独立国になって復興を遂げ、もう何十年も経っているのだとボクも含めて多くの国民は思っていたが、実はそうではなかった(ガ〜〜ン!)。未だに国のトップレベルは国民の方を向いてはおらず、米国を向いて仕事をしている。Wikileaksの外交電報を見るまでもなく、例えば普天間基地に代表される様々な問題の経緯を見れば、外務省や防衛省が誰の意思を優先してきたかは明らかだ。

2. 福島原発事故は2度目の敗戦と言えるが、その敗戦処理でも全く同じ経過をたどっている。単にアメリカが「ムラの住民たち」に置き換わっただけで。

この二つの敗戦とその後の敗戦処理の共通点は:本来、権力を持つべきではない人たちが未だに大きな力を持ち続けて、日本の政策を現在も取り仕切っている、ということだ。

「お前ら、いい加減に何が起っているのか理解して、本気で何とかしろよ。」、「この写真は過去ではなくて、現在だよ。」、「この写真が示す今の現実を見て、怒れよ。」、「何度でも、まともな国ができるまでやり直せ。」、というメッセージだと受け取った。そう考えると、イヤな印象の写真を逆に使った、本当に必要な前向きのポジティブなメッセージではないだろうか。上滑りしている「がんばろう日本!」等よりは格段に良い。全国紙の記事・論説はほとんど読んでも無意味だが、この広告は参考になった。

まるっきり、外しているかもしれないが、国語の試験では無いのだから、作者の意図などどうでも良い。各自ご自由に自分の解釈をどうぞ。
【念のためだが、憲法制定を含む占領下の政策は否定していないので、誤解の無いように。】
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